結局のところ働かないオジサンは羨ましい存在なのです

社畜サラリーマン生活

こんにちは、ゴレイです。

東京では緊急事態宣言が発令されましたが、全く変わらない日常でした。

通勤電車は先週よりも混んでおりました。

何でだよ!

と思いつつも、私の生活は何も変わっていないので、当然かといったところです。

おそらく、社畜の生活は宣言前後でほぼ変わらないということですな。

こうなってくると、テレワークで何をやっているか分からない人に批判が向けられがちです。

業務量を完全に平準化することは難しいですが、業務の多い人ほど出社割合が必然的に増えてしまいます。

本日は定期的に話題となる、「働かないオジサン」問題でも。

働かないオジサンの批判されている点

若者が働かないオジサンを批判するということは、様々なところで目にしますが、その心理とはどうなんでしょうか。

大きく分けて以下の2つの観点があるのではないでしょうか。

①単純に仕事しない。ヒマそう。

②仕事の成果の割に高給。

①は短期的な視野に立った批判、②は長期的視野に立った批判のように思えます。

批判したくなるのは、「仕事をしない」ことよりも「給料が高い」ことのように感じるのは私だけでしょうか。

自分が働かないオジサンになってしまうことを想定

私も40歳手前になり、体力や記憶力という面で衰えを感じております。

10年後も今と同じパフォーマンスで社畜を全うできるかといえば、いささか疑問です、というか無理です。

…まぁ、私の場合はセミリタイアをしている予定ですが。

自分がその立場になった時に、会社に余裕があるのか。

若者は将来働けないオジサンになった場合に、自分は守ってもらえる存在ではないということを理解しているので、働かないオジサンを批判するのかな…と。

要するに、働かない割に高給のオジサンという存在を、ある意味羨ましく思っているが故の批判なのです。

こうなってくると、環境を嘆いても仕方がないので、若いうちから資産構築を進めて、いつでも辞められる態勢を整えておくことが最適解のように思います。

社畜の待遇は今後良くなることはないと思っていますので。

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